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ガッチャマンクラウズ感想用に作成 ほか好きなものや気になるもの

好きなひとと好きなもののシナジー。

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好きな人の好きなものは好印象になる。嫌いな人の好きなものは苦手になる。 

 


 好きな芸能人の好きなものが気になるーとか。 
それを利用した広告方法がすこし前、話題になりましたね。 
相手のことが好き=信頼しているという解釈が成り立つとき、シナジー的な解釈で相手の好きなもの=信頼できるものという図式が成立し得る。 
体感としてはあると思うんですよ。好きな人の好きなものが好意的に見えてくるってこと。 

 認知バイアスとかハロー効果とか心理学的な分析はさておき。 
これは結構一般的な意見、法則とさえいってもいいものじゃないかと思う。 

 逆に、嫌いな人の場合はどうしょう?仮にそれを許容できない人だと定義するなら。 
その人の趣味嗜好っておよそ認めたくないものってことになるんじゃないでしょうか? 

 

 


(以降はこれをある程度共感・実感として共有できるものだという体で勝手に話を進めます。) 









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 好きな人と同じものを好きな場合は問題ない。好きの連鎖は幸せの連鎖。 
あるいはそれがきっかけになって、自分の好きが広がったりしますね。すばらしい。 
厄介なのは嫌いな人が自分と同じものを好きだったとき。 

 無意識のうちに好きだったはずのものを避けるようになったりする。こわいですね。 
対面したときの反応は主に次の二つに分かれる。と思う。 

 1.好きなものが好きでなくなる・嫌いになる 
→嫌いな人と同じものが好きな自分を認めたくない 
 2.相手を攻撃する(自分の方が対象を好きだと誇示) 
→相手が対象を好きであることを認めない、にわか扱いするetc 

 人間は弱い生き物です。自分の精神の安定を崩されることを何より嫌います。 
だから仕方ない。ただの心理的な自己防衛です。合理化です。 
本当に仕方がない。仕方がないのは確かだが、自己保身に走ってるという事実は消えない。 
そして、どちらも排他的な行動を取っていることには変わりがない。 
あるいは、ただの同属嫌悪なのかもしれませんね。それはともかくとして。 

 これ、どっちを選択するのかで性格でますよねー。 
自分を変えるのか?相手を変えるのか? 

 言い換えれば、「自分が悪い」のか「相手が悪い」のか? 
それを選択・決定するということになる。 

 1. 
 自分はあんなに嫌な人と同じものを好きになってしまった。 
 気持ち悪い。私はあの人とは違う。 
 あんな人が好きなものを好きだなんてもう、言えないよ。 
 だから、私は(対象を)好きでいることを止めよう。 
 \わけがわからないよ!/ 

 2. 
 あんな頭(性格)の悪そうな奴が私と同じものを好き?笑わせないで。 
 そもそもあいつが(対象を)理解できているなんて思わない。 
 きっと表面的な部分に触れて満足しているだけ。 
 私の方が何倍も(対象を)好きなんだから! 
 \わけがわからないよ!/ 

 だいたいこんな感じでしょうか。 
とりあえずぼくの中ではこういうイメージなんですけど。 

 どっちがいいとか悪いとか、甲乙つけようとは思いません。 
大人だったら第3の選択肢としてもっと合理的な判断(無視)ができるとか、好きなものは好き!それでいいじゃん!とかそもそも他人の意見に左右されてしまう程度の好きなんて「好き」のうちに入らないんだよそれは!とかいろいろあると思いますが別にそういうことはいいんです。 

 ここから導き出される結論…見えてくるものがあります。 
それはどちらの思考パターンを選択するにしても共通の認識があるということ。 
上述した、嫌いな相手が好きなものは嫌い!(嫌だ!)という圧倒的な現実です。 
つまり、自分が嫌われると、自分の好きなものも嫌われてしまうかもしれない。 
少なくともその可能性がある。…これは…やばい。僕にとって致命傷になりうるぞ!! 
\わけがわからないよ!/ 

 なぜかと言うと。僕は人としての自分(個人)が嫌われるのはわりと平気なんですが、自分の好きなものを貶されると、結構しんどいタイプなんです。いわば、僕のことは嫌いになっても、僕が好きなものや好きな人のことは嫌いにならないでください!というスタンス(でいるつもり)なんですね。また、人は個人と嗜好は切り離して考えられると思い込んでいました。なかば願望として。理性的な人間のあるべき姿として。 
\まさか!そんなの不可能に決まってるじゃないか/ 

 でも。ごく一般的な話として、人としての自分が嫌われてしまえば、自分が好きなものたちも嫌われてしまう(可能性)があるということに気づいてしまった。気づいてしまったんですよ! 
 まあ、つまりが僕も違う意味での自己保身に走っているわけなのでただの弱い人間の一人であり、決して褒められた話ではないのですが、一応相手の意見は尊重するし、理解しようとは努めます。稀に「だからあなたは~なのよ!」って論調で趣味・嗜好と人格を一緒くたにして否定にかかってくる人。いますよね。腑に落ちなかったんですよ。あれはそういうことだったんだなって。

 僕は好きなものを人におすすめしてまわるタイプなのですが、これもある意味では危険な行為なのかもしれない。どんなに好きなものをPRしても、自分本体が嫌われていたら元も子もない。 

 実は私、あの人苦手なんだよね…。 
→わかるー。あの人の好きなものはなんとなく避けちゃう。 
→\自分の好きなものがなんとなく嫌われてた!/ 

 という3段論法で、マイナス方向に先入観が発生する可能性があります。 
これ!!これはなんとしても避けたい…っ!! 

 だから、自分の好きなものが、皆さんに悪い印象を持たれない様、慎んだ言動を心がけないといけないなって(主に自分のために)ちょっと意識していこうかなって思った。というポエム。 

 消費者の立場で気負うなんてどんだけ意識高い系なんだよ!って感じもあります。が、好きな作品に言及するときはそれ相応の礼節…とまでは言わずとも、最低限のマナーを守りましょう。と、あらためて思った。自分が大好きで応援しているコンテンツのはずなのに、媒体そのものへマイナスイメージを植えつける…なんてことに。それを助長している可能性は少なからずあるんだよね。コンテンツからもらったエネルギーを仇で返すということになり兼ねない。たとえ自覚が無かったとしても。 
というか自覚がないから厄介だよね!自覚しようね!って話です。(自戒込) 

 これは人と人との関係性においても同じことが言えると思いますが、ひとことで「最低限のマナー」といっても人によって価値観が違う。ゆえにこうだ!っていうガイドラインは一概には引けず、判断は個々人に委ねられる。難しい。でも、そこが面白い部分だったりするんですけどね。揺らぎの余地がないってちょっと怖いですし。だから僕も「最低限」が何なのかについては言及しないし、同調して欲しいとは思ってないです。うん、めんどくさいねこの人!! 

 自分が一般的な意味で人に好かれるタイプではないというのは理解しているので、せめて不快には思われない方向に努力していきたいですね。とりあえずコンテンツの印象を悪くしたくない、マイナスの契機および助長を招きたくない。アクティブな人なら「好きな作品をアピールしよう!アピールしたい!そのために自分を好きになってもらおう!PRしよう!」なんて逆転の発想ができるのかもしれない。あ、これ…ちょっとお金の臭いがします。やめます。こんなところで。 

 適当に書き綴ってたけど、わりと当たり前なところに着地してくれて良かった。 
まあでも、\変わりたいという思う気持ちは自殺だよね!/ 
だから、自然体でいることが1番だと思います。好きなものとは楽しく向き合っていたいですね。 


(尚、上述した2の派生系で「同じものが好き!だからこそ相手のことが嫌い!」 
というパターンが発生するかもしれません。いわゆる推し被りってやつですね。 
これについてはなんというかその…不毛だし、論旨とはずれるので割愛します。) 

みたいなテーマも内包しているガッチャマンクラウズの画像を貼ったんだけど 
大変おすすめのオリジナルアニメで2期も決定してるからみんな見たほうがいいと思うよ!