「キズナイーバー考察・雑感」(12話までを振り返って)
「キズナイーバー雑感」
ようやく10話以降を見る決心がついた。(11話&12話見ました)
豊かな社会を構築するために必要な制度(システム)があったとしても、多数の合意無くしては成立し得ないのが現代社会である。しかし、少数派であるマイノリティが自分たちの意見を元に民主主義的な合意形成を行うのは原理的に不可能だ。ゆえに強引に社会の仕組みそのものを変革しようとする。そして彼女はこう言った。
「皆さんはそれぞれの痛みや苦しみを背負いながら日々を過ごしていることでしょう。一人で痛みを抱えることはとても悲しいことで、そして間違いでもあるのです。痛みは分かち合うことができる。さあ心を開きましょう。そして、私とキズナを結びませんか」
非常にうさん臭い。ほとんど新興宗教である。法ちゃんというミステリアスな美少女が発信している。視覚情報としてプラスなことでギリギリ成立している演説である。彼女が何を言っているのか、多くの人は理解できないであろう。なぜならば、多くの現代人にとって痛みを分かち合うということは「誰かのせいで自分が損をする」ことに他ならないからであり、それを許容することなど決して出来ないからである。時の為政者が語ったのであれば、自分たちに直結する問題として直ちにこれを非難することだろう。法ちゃんの言葉を借りて言うと、「とても悲しいことに」他人の為に、自分が損をすることを無条件で了承する人間はそう多くはない。
さらには心を開きましょう。絆を結びましょうなどと、現実の為政者おじさんが発言したとすればセクシャルハラスメントな政治家として(以下略)その社会的な生を終えることになるかもしれない。
ともあれ、ここは外界から隔絶された埋立て地の洲籠(すごもり)市、キズナシステムのための実験都市である。縁の地においての彼女はただの少女ではなく、一定の権限を持つ人物なのだ。キズナ実験(の再始動)とは、「園崎法子」という社会的マイノリティが、社会に自分と自分を巡る環境の理解を求め、ただただ救済されることを願ったものである。そして彼女にとってはキズナシステムの成功だけが唯一の希望であり、救いなのである。
以下、本作品のメインヒロインである「園崎法子」の目的と行動と主人公である「阿形勝平」の役割を簡単にまとめてみる。前提条件:本作品における痛み=感情(のトリガー)
園崎法子(究極のぼっちヒロイン)
キズナ実験によって、ひとりぼっちではなくなる。物理的にも精神的にも。システムは彼女にとって幸せな時間の象徴。しかし、その反動からキズナで繋がった人間の痛みをすべて自分のものにしてしまう。他のキズナイーバーたちは痛みを失い感情鈍磨、廃人化する。また、自身も「痛み」を抑えるために鎮静剤を定期的に投与する必要があり、副作用により感情が希薄である。
ヒロインとしての望み
システムによる感情共有。皆が他者の痛みを知り、慮って行動できる社会の実現。
勝平くん(究極の愚鈍主人公)
キズナシステムの実験を通じて園崎法子と知り合う。恋する少年。
しかし、恋をしたのは感覚を共有したからではない。(ここ重要)
おそらくはロリ法ちゃんが天使すぎたからである。
実験を通して痛覚を失い、感情が希薄となる。
- キズナ実験の被験者の中で数少ない社会生活を行うことが可能な人物。
- 新たに再開される実験の被験者として園崎法子に選ばれる。
- ひと夏の間、皆と感覚を共有して過ごす。
- 感覚の共有≠感情の共有。痛み(感覚)はあくまでも感情のトリガーであり、思いを共有することとは違う。キズナシステムが必ずしも友情や愛情を生み出すわけではないことを知る。
主人公としての役割
園崎法子に唯一アクセス可能な人物として、自らが体感したキズナ実験の限界を伝えるとともに、人間に本来備わっている他者と繋がる力の有用性を唱えること。
「キズナイーバー」が描きたかったもの
キズナ実験の被験者であり、被害者である「園崎法子」と「阿形勝平」の二人は、大人の都合に振り回されながらも、自分たちの力で再び「キズナ」を取り結ぶことに成功する。そのプロセスにこの物語の本質がある。視聴を続けるうちに「愚鈍・独善ウザ・脳筋DQN・狡猾リア・上から選民・不思議メンヘラ・インモラル」と称される彼らがそれぞれに抱えているとされた問題の多くは、本質的なものではなく、社会生活を送る上で合意・形成されていった後付けの属性に過ぎないことに気付かされる。円滑なコミュニケーションを行うために自らが作り出したもうひとつの自己像なのだ。一見すると好き勝手に生きているように見える彼らだが、その姿は現代社会の写し鏡でもあるのだ。現代におけるディスコミュニケーションの問題を、個人の内的要因に求めるのではなく外的要因に結びつけたのは希望の持てる設定だと感じた。逆説的ではあるが、コミュニケーションを渇望する若者の姿を好意的に描き出した良作である。
彼らが求めていたものは本音をさらけ出せるきっかけだったのかもしれない。
作品としての「キズナイーバー」
「キズナイーバー」は、トリガーの圧倒的な作画、登場人物の豊かな感情表現、声優陣による迫真の演技。これらに支えられた青春群像劇。そして、物語の最後に待っていたのは「取り戻した、あの笑顔」であった。事件後、多くを語らずに幕を閉じた物語であるが、この法ちゃんの笑顔こそが最高のエピローグだったように思う。
しかし、青い髪の美少女に包帯と笑顔…おっと誰か来たようだ。この作品を貫くローでハイなのに心地の良いテンションは、脚本のあのお方(ロー)とトリガーの豊かな作画力(ハイ)の化学反応の結果だと思います。由多くんの乙女走りはあらゆる意味で本作品のハイライトだったのでは。7話は見所が多いよねシャルル・ド・マッキング先生。
物語の中心を担った「勝法」ペアの他にも、牧穂乃香という岡田磨里さん(言ってしまった)以外にはおよそ扱いきれないであろう強烈なキャラクターと、日染芳春という強烈な個性(ただしイケメンである)等の魅力的な登場人物が存在します。彼らの言動には随分と楽しませてもらいました。そして、僕は勝平日染のペアが好きです。(アッー)
OP・ED含めて非常に手触りのいい作品なので、これからも何らかの展開を見せてくれると嬉しいなと思っています。毎週30分があっという間でした。トリガーさんのオリジナル作品にはこれからも注目していきたいです。